2000年、干魃による飢餓で1800万人が生命の危機に瀕するというニュースを聞き、駐日エチオピア大使館を訪ねました。何をすれば良いかと尋ねた時「物やお金の援助はいらない。干魃は天候の問題であっても手は打てる。手を打たせない社会を変えることが根源解決であり、社会は人間の内面が作るので、一番して欲しいことは人間の内面を変えること」との言葉を受けました。人間の内面を根源的に変え、運命までも解放できるいだきしん先生のコンサートを提案しました。そして何より事実を知って欲しいとの依頼を受け、エチオピアへ行くことが始まりました。
2000年8月、初めて家畜が死ぬという干魃の地、コデへ行きました。ゴデで出会った子供達の純粋で無垢な美しい瞳を忘れることはできません。
2000年12月、ゴデの病院の医師と約束した、モバイルのレントゲンを届けに再びゴデに行きました。出会った子供達は誰一人いませんでした。マラリアに罹っていて死んでしまったことを知りました。また会えると疑うことなくゴデを訪ねた私は、大きな間違いを犯したような強い衝撃を受けました。そして出会った生命は、生命が失くなっても永遠と分かりました。この子達の為に生きると決め、エチオピア支援活動が始まりました。始めたことは息をしている限りやることを、いだきしん先生におっしゃって頂き、エチオピア支援活動は死ぬまでやり続けると決め始めました。
2001年エチオピア全土を撮影の為、旅しました。
2001年5月13日、誕生日の夜、旅の途中でコーヒービジネスを依頼されました。エチオピアはコーヒーの産地です。カファ丘陵はコーヒー 発祥の地と言われています。良いものを良いままに、美味しいものを美味しいままに伝えて欲しいと依頼されました。私は即決で引き受けました。コーヒービジネスの始まりです。
9月、人類最古の人骨が発掘された地、ハダールへ行きました。熱風が吹き、吸い込むと即死するという大変危険な地でした。命賭け行き着き、無事に生きて帰ることができました。
2001年11月10日、エチオピアの首都アジスアベバにある、国家行事が行われるメスケル広場にて、いだきしん先生の「天命」コンサートを開催しました。聴衆11万人、衛星放送とインターネットで全世界同時配信しました。そしてエチオピア政府より全世界の国家元首へ向け、人類発祥の地から新しい愛の人類史を築くコンサートとし、発信しました。コンサート後、エチオピア政府より「日頃は飢餓や貧困により内面が不安、恐怖、不満で満ちていた人々が愛に満ちた。愛からは未来に必要なものや仕事、社会を作っていける。何より自律の支援」と大変喜んで頂きました。
コーヒービジネスは愛から生まれたビジネスです。私が選んだコーヒーは偶然コーヒー発祥の地、カファ丘陵から採れる100%野生種でありました「リム」です。地球環境の破壊がなく、エチオピアでは、元々現在に至るまで薬として飲まれています。体に良いと飲まれている程良いものです。そしてNPO法人で行っていますので、収益はエチオピアに還元したいと始まりました。矛盾と犠牲がないビジネスの始まりです。アンドロメダエチオピアコーヒーと名付け、日本に紹介し始めました。アンドロメダはエチオピアの王女の名前であります。エチオピアの悲願を受け、日本に良いものを良いまま、美味しいものを美味しいままにと伝えています。
エチオピア支援概要
2002年 3月 エチオピアに送る消防自動車11台の船積通関諸費用を寄付
2002年12月 エチオピア飢餓の緊急事態発生時にあたり、エチオピアDPPC(災害予防準備委員会)に寄付
2006年 アディスアベバKetchene孤児院への支援活動としてバイオエネルギー設備費の寄付およびクリニックの整備を行う
2006年 5月 浄水プラント設置のための現地調査を実施。ジジガ水資源局と共同事業契約締結
2007年 7月 エチオピア向けに設計した汚泥排出機、殺菌装置など完成
2007年 8月 エチオピアソマリ州水道局より技術研修の為4名を日本へ招聘
2007年11月 エチオピアゴデへ5年間かけて独自に開発をした浄水給水装置の設置工事を実施(日本から技術者6名含む7名を12日間派遣)。これにより、住民5万人に安全な飲料水を供給することが可能となる
GESHAコーヒーについて話を聞きました
2023年8月、エチオピアのヤルガッチャフェ村へ一緒に行ったエチオピア人から、GESHAコーヒーについて話を聞きました。GESHAコーヒーは最高品種であり、市場で最もグレードの高いG1のスペシャルティコーヒーです。GESHAコーヒーが採れる畑を「KOMAファーム」と名付けたらどうかと、そしてKOMAGESHAコーヒーとし販売して欲しいとの依頼を受けたのです。一度は名前は付けなくてよいとお断りしましたが、NPO高麗がエチオピアでやってきたことを農民が知れば、生きる希望となり、やり甲斐を得るとおっしゃって頂き、私は「KOMAGESHAコーヒー」とし販売することを決めました。